税理士 渋谷区の今後の動き
専門家に話を聞きにいって、「カドミウムはなんとなんの化合物ですか」とは何事か。
いくらなんでもこれはフィクションであり、「カドミウムは元素です」とあきれられる自分を露出することによって、Aの想定するレベルの低い読者のウケを狙ったものだと思うが、その心根はさもしい。
当時、この「小説」は結成されて間もないYから全面的にデータの提供を受け、A系マスコミがお膳立てした取材先を歴訪して書かれたものだというウワサがあった。
ウワサの前半については、のちにYの事務局にいる人物が、公衆の面前で得意気に語るのを直接聞いたからまちがいないと思う(後半の真偽は知らない。
A自身はテレビ朝日の前身であるNETのスタッフが取材に協力してくれたと記している)。
すでに述べたように、私は「ブームなのに超マイナー」として頑張る有機農業者を支持している。
しかし、このとき以来、Yのイデオローグの発言はすべて眉にして聞くようになった。
与えられたデータを相対化も一般化もできない「女流作家」に一方的なデータを提供し、あんな愚作を書かせたのが威張れるのか。
『C』以後、農薬利用技術がよりマシな方向へ動き始めたのは、農薬関係者の努力の成果である。
農薬メーカーも行政も、事実として示されれば対応せざるをえない。
しかし、いくら「アブナイ、アブナイ」と呪文のように唱えられても、単なる情緒的反応には対応しょうがないし、誰だってそんなスベは知らない。
そして71年の農薬取締法改正が物語るように、『複合汚染』以前に動きは始まっていた。
日本だけでなく初期の農薬関係の法律は、粗悪無効な農薬の横行で農民が損害を受けないようにすることが主眼だった。
それがこの改正で国民の健康の保護と生活環境の保全を重視するものに転換されたのだ。
こうした一連の動きのなかで、愚作は愚作なりに合成化学物質の危険について啓蒙的な役割を果たしたと評価する向きもあるにはある。
だが、私は認めない。
あの「小説」によって、わけもわからず情緒的に反応することが消費者運動のなかで正当化されてしまった。
そのような「運動」は、よりマシな農薬への転換になんの功績もない。
そして、その不毛な情緒的反応のなかから、私が「無農薬オタク」と名づけているアホどもが生まれてくる。
農薬恐怖をあおる「戦略」の末路ないものねだりを承知で言えば、「危険な農薬」が問題化したとき、無農薬という「過激な」選択をした少数派を育てる努力が、農政にあればよかったと思う。
しかし、当時はOEM生産のネットワークから離脱した者にまで目配りする余裕はなかったようだ。
そのため無農薬派は農政からも農協組織からも「無視」されてしまった。
いきおい、彼らには自助努力で頑張るしか生き残る道はない。
具体的には無農薬有機農産物の販路開拓である。
現代社会では金銭なしでは生きられない。
自給自足はくだらない夢想にすぎず、金銭を自給したら通貨偽造という犯罪になるのだから、これは当然だ。
その販路開拓のためのマーケティング戦略として、それと意識せずに「賢い主婦」の農薬恐怖をあおる方針が採用され、それが『複合汚染』に結実した、と私は見ている。
もちろん、こんな批判はYのメンバーにはけっして認められないだろう。
マーケティングなどという意識は毛筋ほどもないと主張されるだろう。
ならば尋ねる。
なぜ、農産物は三里四方で消化されるべきだという理念がありながら、たとえば山形県高畠町から埼玉県所沢市へ有機農産物を配送するような現実が存在しているのか。
こういう「もう一つの広域流通」は交通需要をかさ上げし、結局、石油文明の拡張を招いているではないか。
私は、農産物を市場メカニズムの支配からなるべく切り離し、地域自給をめざすという理念を高く評価している。
私自身、土地・住宅政策の邪魔物視されている都市近郊農業を応援するため、農産物はリヤカーで配達可能な範囲で「流通」するのが望ましいと書いたこともある。
近場で消費されるなら、面倒な市場規格に合わせた選別や「過剰」な包装、鮮度保持のための予冷は不要となり、輸送経費も大幅に減る。
やりょうによっては流通マージンなしということも可能だろう。
Yがいう生産者と消費者の「顔の見える関係」は、そういう、いやでもしょっちゅう顔を合わせる地域内でこそ意味があると思う。
そうではなく、顔の見える関係をつくるために、はるばる援農に出かけたり交流集会を開いたりするようでは、これまた交通需要をかさ上げする。
まあ、たいしたかさ上げ量ではないから趣味としてはあってもいいが、それを運動と呼ぶのはおこがましい。
リヤカーや自転車の距離での産消提携を全面的に実現するのは、おそまつクーデター失敗後のロシアで社会主義再革命をめざすよりむずかしいとしても、地域によっては部分的に実行可能だと思うのだ。
市場経済はどんなに欠点が多くても計画経済よりはマシだと証明されてしまったが、農産物の部分的地域自給は別に計画経済ではないのだから。
しかし、しかし、である。
むずかしいものはむずかしい。
三里四方の消費者を説得するより遠隔地のまとまった消費者グループと手を結ぶほうが早い。
彼らは、そういう購入グループを「目覚めた消費者」と呼んでいるが、バカも休み休みにしなさい。
真に目覚めた消費者は、自転車で行けるくらいの距離に生産者がいなかったら、普通の市販品でやっていく。
もし「もう一つの広域流通」を利用するなら、「恥ずかしながら無農薬が趣味で」という姿勢でなければなるまい。
ともあれ、意識されざるマーケティング戦略、すなわち消費者の農薬恐怖をあおる方針は、『複合汚染』以後も無農薬の正当性を強調するためにしばしば採用されている。
そして、その間に農薬のほうがどんどんマシになってきて、少なくとも食品に残留する分についての恐怖感に根拠がないことは、前に述べたとおりだ。
ということは、Yのイデオローグの一部が、いつの間にかデマゴーグに転落したことを意味するのである。
デマゴーグと無農薬オタクの氾濫「P氏がガンで死んだ」「そういえばQさんもガンだった」「ガンが増えているんだね」こういう日常会話はくつにデマではない。
しかし、社会的発言のなかで「ガンがしだいに増えているのは農薬をはじめとする合成化学物質のせいだ」と言えば、これは明らかにデマである。
なぜなら、合成化学工業先進国の日本でもアメリカでも、ガンの死亡率を標準的な人口構成の年齢分布に当てはめた訂正死亡率でみると、過去40年間ほとんど横ばいだからだ。
ガン死が増えているのは、若いうちにガン以外で死ぬ者が減って長命になったせいなのである。
細かく見ると、日本では胃ガンや子宮ガンが減り、肺ガン、肝臓ガン、大腸ガンが増えて、全ガンでは横ばいになっている。
このうち胃ガンの減少は、食卓から塩からいものが減り、一年中、新鮮な野菜が食べられるようになったためだと、前出のK氏は分析している。
有農薬野菜の施設栽培や広域流通が胃ガンの減少に貢献しているのだ。
このように、ちょっと調べてみればすぐウソだとわかる幼稚なデマを説く人物は、あるいはイデオローグでもデマゴーグでもなく、知的でない「賢い主婦」と同じレベルにあって、無知に基づく思い込みを語っているのではないかという気もする。
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